遅れながら「24時間テレビ」について思うこと
先月30日から31日に放送された「24時間テレビ」(以下「24」)が放送されたが、深夜時間帯がレギュラー番組の延長の様内容になっていたことや無理がある登山企画、こちらも無理があるマラソンを完走してメイン会場の国技館に戻ってきたSUPER EIGHTの横山裕さんの満身創痍の姿を見て現行の「24」の放送内容に疑問を持ち、放送体制を1978年(昭和53)第1回放送時に戻して放送の管轄をバラエティー部門から報道部門へ戻すこと、その上でサポート・ユーザーからも大きな批判がある「障がい=不幸」という見方をやめること、マラソンなどの無理な企画をやめること、深夜時間帯は音楽企画へ戻すこと、さらには放送法や労働基準法を改正してチャリティー番組・事前番組でのギャラの支払いをやめさせることが必要では、と思ったのである。あと、昨年発覚した鳥取・島根両県を管轄する日本海テレビの社員による募金横領、いわゆる「ネコババ」が発覚してから募金の管理を外部に委託するようにしたとのことであるが、私自身は警備会社や銀行とも協力して番組終了と同時に募金を銀行(この日銀行は休日出勤の形にする)に運び、直ちに集計を開始する方式にしては、と思っている。
また、深夜時間帯に裏番組のNHKEテレで放送されていた言語障害や日本在留外国人に関する問題を取り上げた「Toi-Toi」の「“通じる”ってつまり、なに?」の再放送(2025.5.8本放送)と関東大震災直後の虐殺事件を取り上げた「こころの時代」の「名も知れぬ死者を悼むために」再放送(2024.9.1本放送)を見ていたのだがこのことも本来「24」で取り上げることでは、と思ったのである。日本がすべての人々にとって住みやすい国になること、差別による虐殺事件によって日本と諸外国双方の国民が不幸になることがない様にする為の企画が必要では、と思っている。具体的には当事者の人々をゲストとして招き、映像も交えて話を聞くと共に日韓双方のミュージシャンの歌を交えて総理大臣や中央官庁関係者や都道府県知事や市区町村長に追悼文を出す様に請願をする企画が良いのでは、とも思っている。
また、9月1日が迫っている時期、年によっては9月1日に放送となる年があることも考えれば「防災」についての企画も必要では、と思っている。さまざまな災害で被災した人々の話を交えて防災対策を取り上げるのも良いのでは、とも思っている。
私は「24」を全否定するつもりはない。今回放送では、昨年年明け早々に震災に襲われ、その8ヶ月後には水害にも襲われた石川県能登半島で大きく傷つきながらも必死に立ち直ろうとする食堂の人々のなどを取り上げたことは、2016年(平成28)・第39回放送でくまモンと羽生結弦さんの共演企画が組まれたこと同様、被災地の現状をダイレクトに伝え、復旧・復興を後押しすることになるのでは、と思っている。今後とも被災地関連の企画も組むことを望むばかりである。
熊本ローカルの時間帯では岡松トモキ(智起)さんの友人・松永健志さんのアート企画や復興道半ばの人吉・球磨地域を取り上げる企画もあったとのことだったので、見逃してしまったのは本当に残念に思っている。
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1985年(昭和60)ないし86年(同61)頃に現・宇城市松橋町にで見かけた「24」の福祉車両と昨年6月に宇土市内で見かけた宇土市内で見かけた同市にある老人ホームに寄贈された「24」の車両。「ネコババ」の一件があったとはいえ、「24」が福祉の進行に大いに貢献してきたことがわかるのでは、と思っている。今そのことからも「24」の打ち切りには反対である。
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by shintaromaeda | 2025-09-26 20:56 | 前田画楽堂本舗 デザイン商品 | Trackback | Comments(0)













































































