熊本・大分大地震(平成28年熊本地震)から6年・七回忌を迎え、改めて思うことと新たに思うこと
今月15日夕方、宇城市役所不知火支所(宇城市不知火町)と同市役所本庁(同市松橋町)。14日から16日にかけて私の地元・宇城市でも追悼と復興完了を願う時が流れていた。また、日の丸と宇城市旗と共に半旗となったウクライナ国旗を見て今ウクライナで天災と人災という違いはあれど平穏な日常を奪われる悲しみと困難の中で暮らす人々に想いを寄せ、改めて1日も早くウクライナに平和が戻ることを1日も早い復興完了の実現と共に願ったのである。
去る14日と16日で私の地元・熊本と隣県・大分を襲った震災から6年・七回忌となったが、未だ熊本城や阿蘇神社など修復が完了していない文化財や施設が未だにあることや、70年近い人々が仮設住宅で過ごしていることや、旧阿蘇大橋でご子息をなくした夫婦が未だにご子息がこの世にいないことを受け入れられないことが報じられていて、改めて未だ復興は道半ばであることを実感したのである。また、昨日昼にNH総合で放送されていた「列島ニュース」で神戸市にある復興ミュージアム開館20年のニュースで震災体験が風化しつつあることが報じられているのを見て、改めて防災のためにも被災体験を語り継いでいく必要性というのも実感したのである。
先月29日、私の地元・熊本県の芸術界のきぞを気づいた画伯の一人・海老原喜之助さんを検証して行われた美術展「エビハラがいた時代」が行われていた熊本県立美術館本館から撮影した二の丸広場方面。熊本城の建物や石垣などが傷ついてもなお城内に咲き誇る桜も熊本城の復旧、熊本の復興を後押ししたということも思ったのである。それと同時に改めて自然は人の命を脅かすほどの猛威を見せる一方で人を和ませ、励ます美しさも見せることを実感したのである。熊本城の完全な修復完了は2038年(令和20)と言われているが、改めて1日も早く修復が完了するように県民の一人として努力を続けようと思ったのである。
今月3日午後3時ごろ、遊美塾の写真講座から帰る途中熊本市中央区上林町で見かけた橋の台座から生えたタンポポ。このことからも自然は恐ろしい一面を見せるとともに人を和ませることを実感したのである。それと同時に復興へ向けての努力を続けようとも思ったのである。
2016年(平成28)11月に0904totoさんがYouTubeに被災地支援のために上げた詩吟「嗚呼熊本城」。歌詞は1877年(明治10)の西南の役で戦火に耐え抜いた熊本城の勇姿を歌ったものと思われるが、139年後に震災に耐え抜いた姿と重なる部分が多かったと思っている。大変遅くなってしまったが、0904totoさんをはじめとして、支援の動画を上げていただいた方々にこの場を借りてお礼を申し上げたいと思っている。
あと、震災発生時に我々国民の代表として指揮をとった元総理の安倍晋三さんにも2020年(令和2)9月に退陣した際にお礼を申し上げるべきだったが、退陣時にお礼を申し上げなかったのは安倍さんが天皇・皇后両陛下や上皇・上皇后(皇太后)陛下のお気持ちに背いてご譲位を一代限りにしたことや我が国の伝統ではない「男系継承」を維持したことは受け入れられなかった(改めて岸田総理と岸田内閣の皆さん、国会議員の皆さん、中央官庁の皆さんには恒久的なご譲位の制度と「女帝即位・女系継承」の基づく皇位継承が実現するよう皇室典範を改正するようにお願いしたいと思っている)とはいえど退陣時にお礼を申し上げなかったのはあまりにも「恩知らず」なのでは悔やんでいる。安倍さんと安倍内閣の皆さんには大変遅くなったがこの場を借りて恩知らずな行いをお詫びをすると共に復旧・復興のために尽力したことに対してお礼を申し上げたいと思っている。
by shintaromaeda
| 2022-04-28 17:30
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