去る11日に「3・11」東日本大震災から11年となったが、原発事故で避難地域となった区域には11年経った今でも壊れた家の窓から見える2011年(平成23)3月のカレンダーや午後2時46分で止まったままになっている床屋の時計、小学校にある避難した生徒たちの私物などの時間が止まったようになっている風景の数々があることや防潮堤など建設が途中であることなどから未だ復興は道半ばとなっていることを実感したのだが、福島県内での慰霊式典で岸田総理が我々国民の代表として引き続き復興を推し進めると共に災害に強い日本を目指すということを公言したことから私も改めて国民の一人としてできることはないかと思ったのである(政府主催の慰霊式典は2年連続でCOVID-19感染拡大防止のために中止とのこと)。昨年「3・11」から10年を迎えたことで公式の式典を行わないことを決めた自治体が増えたことは震災から長い年月がたったということを実感させられる出来事に一つではあるが、その一方で「3・11」で起こったことを「3・11」のことをリアルタイムで知らない世代の人々へ語り継ごうという取り組みも行われているとのことなので、改めて「3・11」の5年後に地元・熊本と隣県・大分を襲った震災で被災した私も被災者の一人として語り継いでいくことが責務になってくるのでは、ということを思ったのである。
先月末から起こったウクライナでの戦争では原発がロシア軍から攻撃を受けるニュースを見るたびに「3・11」で福島を襲った悲劇と共に36年前に起こったチェルノブイリ原発の事故の悲劇を思い起こしたのである。今だにウクライナ国内はもちろんのこと、ロシアを含めた周辺諸国も放射能に怯えることになる恐れはそのままである以上、一刻も早くロシア軍・政府がウクライナから手を引き、ウクライナに平和が戻ることを祈るばかりである。
2012年(平成24)6月、福島を襲った惨劇が栗か消されないことを祈ってデザインした商品。
同年8月、これ以上原発を必要とないことを訴えるべくデザインした商品。
2013年(平成25)10月、公害と戦った田中正造の言葉を元にデザインした商品。
昨日深夜に「3・11」の余震と思われる地震では最大震度6強を記録したこと、各地で停電が起きたことなどから「3・11」、さらには熊本・大分大地震の悪夢と様々な悪夢が蘇った方も多いのでは、と思っている。この場を借りて亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、1日も早い復旧と復興をお祈りしたいとも思っている。
「3・11」直後にその66年前に我々の祖先が衣食住こと欠いて灰とがれきの山の中から立ち上がって復興を実現させたことを思い起こすよう促すべくデザインした商品。お役に立てたなら幸いである。
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