祝・日伯国交樹立120年
日伯両国の交流で真っ先に上げる必要があるのは1908年(明治41年)から続いているブラジルへの移民渡航と1980年(昭和55年)頃からブラジルから祖先の国である日本へ渡って来た日系ブラジル人のことではないかと思っている。そのことから人と人との交流が両国を繋ぐ原動力になっていると思っている。
改めて昨年度(2014年度)遊美塾展に提出した私の地元・熊本県宇城市からブラジルへ渡ったマナブ間部さんをモチーフとした作品。
こちらも改めて1999年(平成11年)に宇城市不知火町の不知火文化プラザが完成した際にマナブ間部さんの作品を常設展示するにあたって設置された石碑。
海外のユーザーがYoutubeに載せているマナブ間部さん関連の映像の数々(長いものもあるのでご注意)。
Manubu Mabe Paints a Picture(12分程度)
Manabu Mabe(3分程度)
MANABU MABE - Vicenzo Bellini´Symphony from Norma
120年の中ではわずかな期間ではあるが両国間に亀裂が走ったこともあった。と申すのは大東亜戦争(太平洋戦争)でブラジルがアメリカやイギリスなどの連合国側についたため敵国人となってしまった日系人は日本語の使用や複数の人数で集まることなどが禁じられたことと加えて、日本からの情報が乏しかったこともあり終戦後に日本の敗戦を信じずに日本が買ったと主張する「戦勝派」と言われる人々が敗戦を信じ受け入れた上で日系人社会を再建しようとする「認識派」(あるいは「負け組」)と言われる人々を襲撃したり殺害する事件が発生し、他の住民も巻き添えとなって犠牲となった人々も出たために日系人や日本への反感が起ったためである。この惨劇は自分に都合がいいことや聴きたいことだけを聴こうとして都合が悪いことや聴きたくないことを受け入れないことが相手にも自分にも第三者にも危うい結果をもたらすことを約70年経った今日を生きる我々にも向けられた教訓として伝えてくるように思えてくるのである。
日系人の抗争についての映像はこちら(こちらも長いものがあるためご注意)
ブラジル日系社会における「終戦」 ~ 「勝ち組・負け組」抗争の回想(20分程)
映画『汚れた心』予告編(2分程度)
日伯両国間に横たわった相互不信を解消することが出来たのは日系人の中に真面目に働いてブラジル社会に貢献する人々が多くいたたためであり、そのことが両国の信頼関係を取り戻して今日に渡る厚い友情ヘ発展したとのことである。
来年は中南米初の五輪となるリオ五輪も控えているので、更なる日本とブラジルとの交流につながるのではと思っている。
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# by shintaromaeda | 2015-11-06 20:22 | その他 | Trackback | Comments(0)