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携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01 前田画楽堂本舗デザイン商品 16.10.26

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今回は、本年度大河ドラマ「真田丸」でおなじみの真田家が迫り来るピンチを切り抜け、戦乱の時代を生き抜いたことを讃えるべくデザインした商品の第2弾。

主家である甲斐武田家滅亡後に織田信長に従うもその信長は本能寺の変で命を落とし、後北条氏(戦国時代の北条氏は鎌倉時代の北条氏と血縁関係がないのでこのように呼ばれる)や上杉氏、徳川氏といった巨大な大名に囲まれ、家を守る為に周囲の大名の間を渡り歩いた後に天下統一ヘと勢いづく豊臣秀吉に従って信繁(幸村)は直属家臣に取り立てられるほどの信頼を勝ち取ったものの秀吉の死後対立を深めて行く徳川家康と石田三成の間で揺れ動き、いわゆる「犬伏の別れ」で泣く泣く一族を分けて信幸(信之)は東軍(徳川方)へ、昌幸と信繁(幸村)は西軍(三成方)へついた後に昌幸と信繁(幸村)は信幸(信之)の助命嘆願によって紀州九度山に流された後に信繁(幸村)は秀吉の息子・秀頼の誘いを受けて大阪城に馳せ参じる一方、信幸(信之)は家の存続と弟の間で苦悩した後に息子の信政と信吉を徳川方へ派遣して再び一族で分かれる…と「真田丸」では主人公・真田信繁(幸村)だけではなく真田家の武将や家臣たちが苦悩の中で迫り来るピンチを切り抜けて行ったところも描いているのでは、と思っている。真田一族の生き方は400年以上経過した今日に生きる我々にどのように困難を乗り越えるのかということも教えているのでは、とも思っている。

今後「真田丸」では信幸(信之)と信政、信吉の苦悩を大阪城での信繁(幸村)とその長男・大助幸昌の活躍とともに描いていくと思われる。


信繁(幸村)が九度山に流されている間に考案し、今や和歌山県九度山町の特産品となった「真田紐」は信繁(幸村)が突きつけられた窮地を脱する為に生み出した真田家のレガシー(遺産)のひとつではないかと思っている。真田紐もどのようにして困難を乗り越えるかを教えているとも思っている。
「真田丸」効果で真田紐完売
真田紐 さなだひも サナール 大河


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by shintaromaeda | 2016-10-26 20:47 | 前田画楽堂本舗 デザイン商品 | Trackback | Comments(0)

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